夏への扉(新版)/ロバート・A・ハインライン著、福島正実訳

言わずと知れた名作SF。福島正実版の(新版)が出たというので超久しぶりに読み返した。翻訳者の福島正実は1976年に亡くなっているから、誤訳や表現をある程度修正したということらしい。名訳と言われる福島正実の(新版)の前に、小尾芙佐翻訳の(新訳版)も出ているがそちらは未読。


ネット上の感想でもよく見かけるが翻訳で議論になるのが「Hired Girl」。福島正実はこれを「文化女中器(ハイヤード・ガール)」と訳した。
「文化鍋」「文化包丁」など日本の一時代(1950年代ごろ)に流行った、新しくて便利な家庭用品などの冒頭に「文化」をつける感覚を、そのまま「お手伝いロボット」の名前につけたわけで当時はこれがしっくりした訳出だったと推察するが、その後の日本というか世界的意識改革によって「女中」という言葉が女性蔑視表現として嫌われることになって、新版・新訳ではこれをどうするのかがかなり議論ポイントだったと思われる。
小尾芙佐版ではこれを「おそうじガール」と訳したそう。福島正実版の新版では単に「ハイヤーガール」となっている(「ド」はどこ行った?という感じもする)。いま新版として出すにはまあ無難で文句もないが、初めて読んだ時の「文化女中器」という言葉のインパクトと、白物家電(?)としてのロボットお手伝いさんとしての言い得て妙な感覚の衝撃は今も忘れられない。
そして今回読み返しながらルンバがちょこまかと掃除で走り回ったりブラーバが床をふきふき動き回るのを見て、ああ、これだねダンが作ろうとしたものは、と強烈に思ったことよ。


それはさておき、改めて最後まで読み通して思ったのは、意外と忘れていなかったなということ。
複雑怪奇な話ではないので当然とも言えるかもしれないが読んだのは中学生くらいだったと思われる。あえていまの年齢はバラさないがウン十年前に一度読んだだけなのに、なるほどそういうことかと全てが腑に落ちた時の頭がホワイトアウトするような感覚はもう完全に覚えていて、このシーンでこんなこと思った、次のシーンではこう感じた、というのが特に後半は脳髄の古い記憶域からダダ漏れてきて今の脳みそと微妙にずれながらもシンクロしながら読んでいた。この微妙なズレは当時と今の経験の差だよね。SFのガジェットやネタにまだあまり慣れていない時代に読んだものと、いろいろな作品を読んでいろいろなパターンで驚かされてきた今ではやはり受ける感覚は違って来る。


でもこの作品はとにかく好き。日本人が大好きで海外ではそこまで高い評価ではないということも最近知ったのだがやっぱり名作としか言いようがない。SFをあまり読んでいない人にはまずおすすめしたい本。